『数字を使ったことわざ』
小学校受験をされるご家庭の保護者の方は、幼児教室などで様々な保護者や先生方と接する機会があります。
小学校に入学してからも、担任の先生やクラスのご父兄とお話する機会が多々あります。
小学校の先生や、幼児教室の先生からよく耳にするのが、最近の保護者の方の中に、間違った言葉の使い方をしたり、ことわざの意味を正しく理解していない方が増えてきた、ということです。気をつけたいものです。今回は、数字を使うことわざをご紹介したいと思います。 ご参考ください。
出典:ことわざ事典2(ポプラ社)
文:竹下昌之
協力:相模女子大学学芸学部 子ども教育学科
相模女子大学小学部
『数字を使ったことわざ』
1.一を聞いて十を知る |
ほんの少しのことを聞いただけで、物ごとの全体がわかるという、かしこさと応用力をもった、すばらしい人のことをいいます。
この場合の「一」は、はじめを意味し、「十」は終わりを意味します。
〈同じ意味〉
かしこい人は一語で十分
一事を以って万端を知る |
2.一か八か |
結果がどうなるか自分ではわからないが、思いきってやってみるとき、「一か八かやってみる」といいます。
一と八は、二つのサイコロの目をあわせた数が偶数(丁)がでるか、奇数(半)がでるかをあてるゲームのとき、むかし「丁か半か?」とかけ声をかけたところからでたといわれています。
〈同じ意味〉
のるか反るか |
3.一芸は道に通じる |
「一芸の士」とは、一つの芸能にすぐれた人のことをいいます。
なんの芸でもその奥の手をきわめた人は、その他の方面でも物の真理をつかむことができるので、ふつうの人よりすぐれた力を発揮できるというたとえです。
〈同じ意味〉
一芸に達する者は諸芸に達する |
4.
一事が万事 |
ある出来事ひとつだけを見て、他のことすべてを推しはかれるという意味のことわざです。
「一を聞いて十を知る」は、よいほうに使われますが、「一事が万事」は、悪いほうに使われます。
一つ悪い面を見ると、その後もずっと同じように悪くなるだろうと考えてしまいます。
〈同じ意味〉
一斑を見て全豹を卜す |
5.一というたら二と悟れ |
なにか一ついわれたら、そのつぎはなんだろうかと、すぐに機転をきかせて考えなさいというたとえです。
世の中には、一から十まで説明しても気がきかない人がいます。そのような人は、社会で出世しませんよ、というような意味でも使います。
〈同じ意味〉
のみと言えば槌 |
6.一怒一老 |
怒ることは身をほろぼすもとになるから、慎みましょうという意味です。
ある医者の話によると怒りの源は大脳にあるといいます。そこに、コンピューターのようなものがあって、怒りをコントロールしているのです。
人間は、あるていど怒りを発散させないと、ストレスの原因になります。
〈同じ意味〉
怒りは敵と思え |
7.一度が末代 |
ながい人生の中で、善いことにしろ悪いことにしろ、たった一度きりのおこないだけで、その人の人間性を評価することが多いものです。物ごとをよく考えて、行動しましょうという意味のことわざです。
末代とは、その人が生きている間はもとより死んだあとまでずっとという意味です。
〈同じ意味〉
一度が大事 |
8.一難去ってまた一難 |
一つの災難や困難がおそってきて、やっとなんとか切りぬけてほっとした瞬間、また別の災難にあうことが、人生の中であります。
このように、つぎからつぎと不運にも災難がおそってくるとき、「一難去ってまた一難」ということばを使います。
〈同じ意味〉
前門の虎後門の狼 |
9.一に看病二に薬 |
現代医学の進歩によって難病をなおす薬がたくさん発明されました。
病気の回復には、薬のきき目が大きいことは、とうぜんです。しかし、それよりも大切なことは、病人の気持ちをじゅうぶん察した心温まる看病であることを忘れてはならないという意味です。
〈同じ意味〉
一に養生二に介抱 |
10.一日千秋 |
千秋とは千年の意味で、一日が千年のように長く感じられるというたとえです。
なんか月もなん年も会いたい人を待ち望んでいるとき、その人と会える日を「一日千秋の思いでその日を待つ。」といういいかたをします。
〈同じ意味〉
一日三秋 |
11.一年の計は元旦にあり |
元旦とは、年の始めの日、つまり元日の朝のことをいいます。
一年間の計画は、その年のはじめに立てるとよいといわれています。
物ごとの計画や準備は、行きあたりばったりでは、決してうまくいくものではありません。早い時期にきちんとした計画を立てなさいということです。
〈同じ意味〉
一日の計は朝にあり
|
12.一年は一年の工夫あり |
四年に一度うるう年がありますが、ふつう一年は三六五日です。小学生はそのうち二一〇日くらい学校に通って勉強をしています。
小学生は、学校生活の中でよく学び、よく遊ぶ生活を送るうちに、身も心も着実に成長していくものです。
その中で、自分自身も成長するように努力することが大切です |
13.一姫二太郎 |
スペインやポルトガルには、「最初に娘をもった父は幸運である」ということわざがあります。
日本でも、子どもは、最初は女の子で、つぎに男の子のじゅんが育てやすいといういいつたえがあります。また、男の子を望んだのに、女の子が生まれた人へのなぐさめのことばとしても使います。 |
14.一病息災 |
息災とは、仏さまの力で災難を取り去るという意味です。転じて「健康であること」「無事なこと」をいいます。
人間はだれでも、無病息災が理想です。しかし、いちど病気をすると、その後つとめて自分の健康に注意するようになるので、かえって長生きできるという意味です。 |
15.一富士二鷹三茄子 |
初夢にみるとえんぎのよいものを順番にならべたもので、江戸時代にできたことわざです。
その起こりについては、いろいろな説がありますが、その一つに、江戸幕府をひらいた、徳川家康にえんの深い、駿河の国(現在の静岡県)の名物をならべたものだという説があります。 |
16.一文おしみの百知らず |
一文銭というのは、むかし使われていた最低の単位のお金(銭貨)です。
つまり、ほんのわずかなお金をおしむあまり、あとで大損することがありますよ。目先のことにとらわれることなく、見とおしを持った生活を送りましょうという意味です。
〈同じ意味〉
小利をむさぼって大利を失う |
17.一葉落ちて天下の秋を知る |
あおぎりの葉は、他のどの木よりも早く落葉するといわれています。
そこで、あおぎりの葉が一枚落ちるようすを見て、秋のおとずれを知ることができるという意味です。
つまり、ほんのわずかな現象を見て、その後のようすを予知できるたとえに使います。
〈同じ意味〉
一葉の秋 |
18.一矢を報いる |
一矢とは、一本の矢という意味です。
敵から受けた攻撃に対して一本の矢を射返す、つまり、相手から受けた攻撃に対して反撃を加えるということです。
よくスポーツなどで大差がついて負けが決まっていても最終回に一点でも入れたときなどに「一矢を報いる」といういいかたをします |
19.一将功成りて万骨枯る |
戦争で一人の将軍がはなばなしい手がらをたてることができたかげには、戦場に散った名もない多くの兵士の力があったことを忘れてはならないという意味です。
つまり一人の人の功名をたたえる場合、その人のかげに多くの縁の下の力もちとなった人びとのことを、わすれてはならないといういましめのことばです。 |
20.一炊の夢 |
むかし、中国の盧生という若者が、旅先であったおじいさんに、ふしぎなまくらを借りて眠ったところ、すばらしい一生を送った夢を見ました。
目をさましてみると、それは、眠る前に炊きかけていた粟が、まだにえていないくらいの短い時間だったことから、人の一生のはかないことのたとえに使います。
〈同じ意味〉
邯鄲の夢 |
21.一寸先は闇 |
「寸」は、むかし日本で使われた長さの単位(尺貫法)で、一尺の一〇分の一を一寸といいました。一寸は、約三・〇三センチメートルです。
人の一生は、夢のようなもので、これから先の人生に、いったいどんなことが起きるのかまったく予測がつかないというたとえです。 |
22.一寸の光陰軽んずべからず |
むかしの中国の詩のなかに、「少年老いやすく学なりがたし、一寸の光陰軽んずべからず。」ということばがあります。「光陰」とは、時とか月日という意味です。「光陰矢のごとし」ということわざもあるように月日がたつのは速いものだから、ほんの少しの時間でもむだにしてはならないというたとえです。 |
23.一寸の虫にも五分のたましい |
むかしの長さの単位である、一寸の半分を五分といいます。
どんな小さな虫でも、体に似あわないくらい大きなたましいをもっているという意味です。小さい者とか弱い者は、ふつうの者より意地とか根性をもっているので、けっして馬鹿にはできないというたとえに使います。
〈同じ意味〉
やせうでにも骨 |
24.一石二鳥 |
西洋のことわざです。一つの石を投げて、二羽の鳥を同時に打ち落とすという意味です。
このことから、一つのことをして、二つの利益を得ることができるというたとえに使われます。
〈同じ意味〉
一挙両得
〈反対の意味〉
二兎追う者は一兎をも得ず |
25.一銭を笑う者は一銭に泣く |
電車に乗るときに、たった一円たりなくても、切符を買うことができません。
たかが一円ではないかと日ごろから馬鹿にしているような人は、いつかその一円すらもなくて、泣くようなことが起きるかもしれません。たとえ少しのお金でも、大切にしましょうといういましめのことばです。 |
26.一波動くとき万波動く |
一つの事件が起きることによって、その影響が予想もしない方面にまで、広がっていくことがよくあります。
ほんの小さな事件であっても、その影響力の大きいことのたとえに使います。
〈同じ意味〉
一波わずかに動いて万波したがう |
27.うぶ屋のかぜは一生つく |
むかしは、赤ちゃんをうむために新しく家を建ててそこでお産をするならわしがありました。その家または部屋をうぶ屋(産屋)といいます。
赤ちゃんのころにかぜをひかせると、その子は一生かぜをひきやすくなるから、気をつけましょうといういいつたえです。
〈同じ意味〉
七夜のうちのかぜは一生つく |
28.肩の荷が一つおりる |
小学校の高学年になると、学校生活の中で、いろいろな問題を話し合う児童会や係のリーダーとして、活動する機会が多くなります。
それは、どれも責任の重い仕事なので、とてもつかれます。ぶじに委員長の役目を果たし終えたときなど、思わずほっとします。そんなときに、「肩の荷が一つおりた」といいます。 |
29.危機一髪 |
髪の毛一本ほどのほんのわずかな差のところまで、危険な目におちいりそうになったとき、「危機一髪」というたとえを使います。
しかし、ふつうは、あぶないせとぎわに接して、運よく難をのがれたときによく使うことばです。
〈同じ意味〉
間一髪 |
30.聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥 |
教室で、わからないことがあるとき、みんなの前で、手をあげてたずねるのは、はずかしいものです。でも、はずかしいのは、そのときだけ、その場だけのことです。勇気をだして聞きましょう。
もし、質問しなかったら、そのことを知らずに、困ることがおきて、一生のはじになります。
〈同じ意味〉
知らずば人に問え |
31.紅一点 |
むかしの中国の有名な詩人、王安石のつくった「ざくろの詩」の中に出てくることばです。詩は一面の緑の中に、ただ一つ咲く赤いざくろの花の美しさ、かわいらしさをたたえたものです。
これが後の世になって、たくさんの男性の中に、女性が一人だけまじることの意味に使われるようになりました。 |
32.大山鳴動してねずみ一ぴき |
西洋のことわざ「山が産気づいてねずみを一ぴき産む」を、日本のことばにあらためたものです。
なにごとが起きるのかと、大さわぎをしたわりには、結果として大したことが起こらなかったことのたとえに使います。
〈同じ意味〉
蛇が出そうで蚊も出ぬ |
33.知者の一失 |
「知者も千慮に一失あり」が正しい言いかたです。どんなに知恵のすぐれたかしこい人間でも、たくさん考える中には、一つ二つ思いちがいや失敗をすることがあるという意味です。
〈同じ意味〉
弘法にも筆のあやまり
千慮の一失 |
34.上り一日下り一時 |
山登りをするとき、上りは三時間ぐらいかかって、けわしい山道を歩きやっと頂上にたどりついたことがあるでしょう。ところが、いざ下りとなると、あっという間にふもとについた経験があると思います。
人生いろいろな面で、築きあげることはむずかしく、こわすことはかんたんだというたとえです。 |
35.一つよければ又二つ |
むかしの人の歌に「思うこと一つ叶えばまた二つ三つ四つ五つ六つかしの身や」というのがあります。
人間というものは、一つの願い事がかなうとまた二つ目、三つ目の願望が、つぎつぎと生まれてきて、これで満足だというときは、いつになってもないものだという意味です。 |
36.一人っ子世にはばかる |
一人っ子は、親が甘やかして育てるために、わがままな性格になりやすいといわれています。
そこで、幼稚園や小学校にはいって、友だちと遊ぶときなどに、わがままな性格がでてしまいます。そうするときらわれものになりやすいので、気をつけましょうという意味です。
〈同じ意味〉
一人っ子は国にはばかる |
37.ローマは一日にして成らず |
むかし、イタリアのローマを中心に栄えたローマ帝国は、一日でできたものではなく、長い年月と多くの人びとの努力によって築かれたものであるという意味です。
りっぱな仕事をするには、きめ細かな計画と長い時間をかけ、よく考えておこなうことが大切であるというたとえです。
〈同じ意味〉
鳥は少しずつその巣をつくる |
38.心は二つ身は一つ |
みなさんの中で、日曜日などに友だちから遊びのさそいの電話があったとき、「遊びには行きたいが、明日しめきりの宿題もやらなければならない」と思いなやんだ人はいませんか。
このように、考えることは二つあっても、体は一つしかないので、どちらか一つしかできないという意味で、「心は二つ身は一つ」と使います。 |
39.天は二物をあたえず |
天の神さまは、ひとりの人間だけに、特別によいところを、いくつも与えはしないという意味です。人間というものはよい点もあるし、悪い点もたくさんあるので、よい点ばかりそろったような理想的な人は、じっさいにはあり得ないというたとえです。
〈同じ意味〉
天二物を仮さず |
40.二足三文 |
江戸時代のはきもののひとつであるわらぞうり(金剛ぞうり)が、二足で三文(お金の単位)の値段であったといいます。そこで、物の値段がきわめて安いことのたとえに使います。また、二足を二束(二たば→二百)と書いて、多くの品物をまとめて安く投げ売りするときに、「二束三文の値で売る」などといいます。 |
41.二足のわらじをはく |
むかし、ばくち打ち(やくざ)が、それを取りしまる立ち場の十手持ち(捕吏)を兼ねる仕事をしたことがありました。
二つがまったく矛盾して、両立しないような仕事を一人の人が兼ねてやっているとき、「二足のわらじをはいている」といいます。 |
42.二兎を追う者は一兎をも得ず |
もともとは西洋のことわざです。いちどきに二羽のうさぎを捕らえようと欲を出しすぎると、結果は一羽も捕らえることができないという意味です。同時に二つのことを成功させようと欲ばると、二つとも失敗することが多いから良く考えて行動しましょうということわざです。
〈同じ意味〉
あぶはち取らず |
43.二度あることは三度ある |
同じようなことが二度つづくと三度めも起こる可能性が強いから、気をつけましょうということわざです。
このことわざはとくに悪いことが起きたときによく使われますが、じっさいは、三度も同じことが起こることはめったにありません。
〈同じ意味〉
一災起これば二災起こる |
44.二の舞を演ずる |
「二の舞」とは、舞楽というむかしのおどりの曲名です。おもしろおかしく前の人と同じようにまねをして、おどろうとするが、失敗ばかりしてしまうという筋のおどりです。
そこで、前の人がした失敗と同じことをくりかえすたとえに使います。
〈同じ意味〉
二の舞を踏む |
45.石の上にも三年 |
つめたい石の上にも三年もの長い間すわり続けていれば、石もあたたかくなるという意味から、がまん強いことをいいます。
世の中には、つらいことがたくさんあるが、たとえどんなにつらくてもがまん強くがんばれば、いつかはむくいられるというたとえです。
〈同じ意味〉
待てば海路の日和あり |
46.犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ |
たとえ犬のような動物でさえ、三日飼えば三年間も飼い主に対する恩を忘れませんという意味です。
人間は、両親や他人から受けた恩をけっして忘れてはいけませんという、いましめです。
〈同じ意味〉
恩を忘れる者は犬にも劣る
〈反対の意味〉
猫は三年の恩を三日で忘れる |
47.益者三友損者三友 |
世の中に、つきあってためになる友人とためにならない友人がいます。
ためになる友人とは、正直な人、誠実な人、博学な人の三種です。ためにならない友人とは、お世辞をいう人、見かけはやさしいが誠意のない人、口ばかり達者で行動のともわない人の三種です。 |
48.女三人寄れば姦しい |
「うるさい」とか「やかましい」という意味のことばに「かしましい」ということばがあります。これを漢字で「姦しい」と書くところから、女の人が三人も寄れば、おしゃべりに夢中になって、やかましいという意味のことわざが生まれました。
〈同じ意味〉
女三人寄れば市をなす |
49.子は三界の首かせ |
「三界」とは、過去・現在・未来の三世のことをいいます。
「首かせ」は、むかし罪人の首にはめて、自由に身動きできないようにする道具のことです。
つまり親というものは、子どもの成長を願うあまり心配ばかりしながら、一生を送るものであるという意味です。 |
50.三寒四温 |
冬の間に、三日間寒い日が続いたかと思うと、そのあとの四日間はあたたかい日が続くといった現象がくりかえし起こることがあります。
このような天気の変わりかたを「三寒四温」といいます。これは移動性高気圧と低気圧が交互に通ることによって起こる現象ですが、日本よりも、中国大陸東北部のほうで規則正しく見られます。 |
51.三尺下がって師の影を踏まず |
「三尺」とは、むかしの長さの単位で約九〇センチメートルです。
弟子というものは、師(先生)のあとについて歩くときなど、師の影を踏まないくらいの心がけが必要であるという意味です。教わる立ち場の人は、師をうやまう心と礼儀を失わないことが大切であるといういましめのことわざです。 |
52.三省 |
「三省」は、中国の『論語』という本の中にでてくることばです。
朝、昼、晩の三度にわたって反省するという意味から、常日ごろから、自分をかえりみる心がけが、必要であるという教えです。
『論語』は、中国の孔子という人が言ったり、おこなったりしたことを書いた本の名まえです。 |
53.三度目の正直 |
うらないや勝負ごとをするときなど、たとえ一度め、二度めは失敗しても、三度めはかならずうまくいくというたとえです。
また、そういう願いをこめて使います。
〈同じ意味〉
三度目は定の目
〈反対の意味〉
二度あることは三度ある |
54.三人寄れば文殊の知恵 |
「文殊」とは、知恵をつかさどる菩薩の名で仏さまのつぎの位にいます。
どんなおろかな人間でも三人が集まって相談すれば、文殊菩薩のようにすばらしい知恵が思い浮かぶものだということわざです。
〈同じ意味〉
三人にして迷うことなし
三人寄れば師匠の出来 |
55.三遍回ってたばこにしょう |
夜の見まわりを三度した後、ちょっと一服たばこをのみましょうという意味です。休むことを急がずに、念には念をいれて、手落ちのないように仕事をしましょうというたとえです。
テストのとき、時間内にはやくできたら、答案用紙をすぐ先生にだすのではなく、よく見なおしてから出しましょう。 |
56.朝三暮四 |
自分の飼っているさるに、「どんぐりを朝は三つ、夕がたは四つあげよう。」といったところ、さるはそれではお腹がすくといって怒りました。「それなら、朝は四つ、夕がたは三つあげよう。」といったところ、こんどはよろこんだといいます。そこで、おろかなことと他人をごまかすという、二つの意味のたとえに使われます。 |
57.天に三日の晴れなし |
天候で、三日晴れの日が続くというのは、めずらしいことです。一年のうちで雨の日もあれば、大雪の降る日もあります。
同じように長い人生の中で、いつも幸せな日がつづくということは、めずらしいことです。あるときは、不運な目にめぐりあうこともあります。あまりくよくよしないで生きて行きましょうというたとえです。 |
58.盗人にも三分の理 |
どろぼうでも、「なぜどろぼうしたのか?」とその理由を聞かれたら、それなりにいいぶんがあるものだとい意味です。
無理な理くつでも、つけようと思えば、どんな理くつでもつけられるというたとえです。
〈同じ意味〉
やぶの頭にも理屈がつく |
59.早起きは三文の得 |
このごろ、小学生の夜ふかしがふえているといわれています。夜おそくまでテレビに夢中になり、つぎの朝つい寝ぼうをしてしまい、学校にちこくしたことはありませんか。
むかしから、朝早く起きることは健康にもよく、きっとなにかいいことがあるといわれています。みなさんも実行してみましょう。 |
60.仏の顔も三度 |
仏さまの顔をなでるのも三度までということです。他人の顔をなでるのはばかにすることです。いくら仏さまでも三度もなでられると腹を立てるという意味です。
おとなしい人でも、しつこくからかわれたり、ばかにされたりすると、ついにはおこりだすというたとえです。
〈同じ意味〉
三度めの腹だち |
61.三日天下 |
明智光秀が、豊臣秀吉軍に殺されたのは、一五八二(天正十)年の六月十三日でした。これは、光秀が本能寺の変で織田信長をたおしてから、わずか十一日めのことでした。
光秀のとった天下が、わずかな期間だったところから、短期間しか政権や権力の地位につくことができないとき、三日天下ということばが使われます。 |
62.三日坊主 |
「三日坊主」ということわざに使われている「三日」がほんの短い期間という意味に使われているように、すぐあきて、なにをしても長続きしない人、また、そういう人をあざけっていうときに使います。
夏休みの自由研究で、「日記を書くぞ」と思ったものの、三日くらいでやめてしまう人は、まさに三日坊主ですね。 |
63.三日見ぬ間の桜 |
各地のさくらの花の咲きはじめの同じ日を結んだ線を、「さくら前線」とよんでいます。気象庁では、毎年、三月二十日ごろに、ソメイヨシノの全国開花予想を発表します。
桜の花は満開になるとあっという間に散ってしまうのでむかしから、世の中の移り変わりのはげしいたとえに使われています。 |
64.三つ子のたましい百まで |
もって生まれた性格は、一生変わらないものであるというたとえに使われます。
「人間の性格は何歳ごろ形づくられるか。」について世界じゅうの学者がいろいろな説を発表しています。ふつう三歳ごろという説が有力です。
このことわざは、幼い時期の育児の大切さを説いているとも考えられます。 |
65.孟母三遷の教え |
中国の思想家、孟子の母親は、お墓の近くに住んでいたところ、孟子が葬式のまねをしたので、教育上よくないとして、市場の近くに引っ越ししました。
今度は、お店やさんごっこをはじめました。つぎに学校の近くに引っ越したところ、礼儀作法のまねをしました。子どもの教育には環境が大切であるというたとえです。 |
66.桃栗三年柿八年 |
くだものの桃と栗の木は、芽がでてから実をむすぶまで三年かかり、柿は八年かかるということです。
物ごとには、あるていどの年月が立たないと、その成果があらわれるものではないというたとえです。
一日一日を大切にして、目的が成しとげられるように努力しましょう。 |
67.四海兄弟 |
むかし、中国の司馬牛が、子夏にいいました。「私の兄は、私の先生である孔子さまを殺そうとしたほどの悪人です。だから私には、兄弟と呼べるような人は一人もいません」これを聞いた子夏は、「人に尊敬の念と礼をもってつくすならば、世界じゅうの人は皆兄弟のようなものだ」となぐさめたことから、このことばが生まれました。 |
68.四苦八苦 |
この世には、生・老・病・死の四苦があります。
また、愛するものと別れなければならない・会いたくないものにも会わなければならない・欲しいものがあっても手に入れられない・心身の成長にともなって受ける苦しみの四苦があります。
合わせて八つの苦しみがあるということから、とても苦しいことのたとえに使われます。 |
69.四知 |
むかし中国で、楊震という人が、ある人からわいろを贈られようとしたとき、「天知る、神知る、我知る、子(相手)知る。」といってそれを受けとらなかったという話があります。他人は知らないと思っても、秘密は必ずもれるものであるというたとえに使われます。
〈同じ意味〉
天知る・地知る・我知る・人知る |
70.四面楚歌 |
むかし、中国の楚と漢の国と戦争をしたとき、漢軍に四方をすっかり囲まれた楚軍の陣に、まわりからなつかしいふるさとの歌が聞こえてきました。そこで楚の王、項羽は、「もはや楚の国の人びとみんなが漢軍に降服してしまったのでは?」と思って驚いたという話があります。まわりが反対者ばかりで孤立していることのたとえです。 |
71.四つ晴れに傘はなすな |
江戸時代の時刻法では、午前十時ごろのことを「昼四つ」または「巳の刻」といっていました。
つまり、午前十時ごろに雨が降りやみ、たとえ晴れ間が出てきたとしても、また降り出す可能性が強いから油断しないように、というお天気のことわざです。
〈同じ意味〉
巳の時に晴れる雨に傘をはなすな |
72.五風十雨 |
むかしの人は、「五風十雨の日並みがようて」といういいかたで、五日ごとに一度風が吹き、十日ごとに一度雨が降るようなときは、気候が順調で農作物のできがよいと信じていました。
それから、世の中が平和なことのたとえにも使われるようになりました。
〈同じ意味〉
吹く風枝を鳴らさず |
73.五里霧中 |
むかし、中国の学者に張楷という人がいました。その人はとても学問ができ、また仙術にもすぐれていました。かれの得意な術は、五里もつづく霧(五百霧)を起こすことができることです。
その故事から「五里霧中」ということばが生まれました。今では、方針がたたず、どうしてよいかわからないで困ることのたとえに使われます。 |
74.木六竹八塀十郎 |
木は六月に、竹は八月に切るのがよく、土べいは十月に土ぬりをすると長持ちするという生活の知恵を人の名まえにことばの調子をあわせてつくられたことわざです。
ただし、ここでいう月は、月が地球を一周する時間をもとにしてつくられた太陰暦によるものです。
〈同じ意味〉
竹八月に木六月 |
75.総領の甚六 |
「総領」とは、むかしはいくつかの国をおさめていた役人の職名でしたが、武士が政治の実権をにぎるようになってからは、兄弟じゅうの最年長者、中でも長男のことをいうようになりました。この意味は、長男は大事に育てられるので、弟や妹にくらべるとおっとりしているというたとえに使われます。 |
76.六日の菖蒲十日の菊 |
五月六日の菖蒲、九月十日の菊ということで、もはや時期がおくれて間に合わないことのたとえに使います。
五月五日は端午の節供で古くから菖蒲をかざります。また、九月九日は重陽の節供で、菊のきせ綿や菊酒をつくって長生きのお祝いをします。
〈同じ意味〉
夏炉冬扇 |
77.秋の空は七度半変わる |
十月にはいるとすがすがしい秋晴れがみられるようになります。しかし、秋晴れは四日以上続くことが少ないともいわれています。それは、移動性高気圧と低気圧とが、交互に日本の上空を通り、天気が変わりやすい状態になるためです。そこで秋の空もようが変わりやすいことのたとえに使います。
〈同じ意味〉
女心と秋の空 |
78.親の光は七光り |
親がえらいおかげで、その子どもが実力以上によく見られること、また大切にあつかわれることのたとえです。
また、逆に、親が悪いことをしたおかげで、なんの罪もないのに、その子どもまでわざわいをうけることを「親の因果が子に報う」といいます。 |
79.七歩の才 |
むかし中国で、曹植という人が兄から七歩あるくあいだに一つ詩をつくれと命じられました。もしそれができなければ死刑にするといわれたので、ただちに兄弟の不仲をなげく詩をつくったという故事から、詩才にめぐまれて、詩をつくることがはやいというたとえに使われるようになりました。 |
80.無くて七くせ |
「無くて七くせ有って四十八くせ」の略です。どんなにくせのないように見える人でも、かならずいくつかのくせがあるものだというたとえです。
みなさんの友だちのなかにも、かわったくせをもった人がいると思います。でも、そのときは、おもしろがって人にいいふらしたりなどしたら、かわいそうですね。
〈同じ意味〉
難なくて七くせ |
81.七転び八起き |
七たび転んでも八たび起きあがるということで、なんど失敗しても気落ちせずがんばって立ち直ることのたとえです。
また、人の世は浮き沈みがはげしいものだという意味にも使われます。
〈同じ意味〉
七度転びて八度起きよ
禍いを転じて福となす
失敗は成功の基 |
82.七度たずねて人をうたがえ |
物がなくなったら、なんども自分のまわりをよく探した上で、はじめて他人を疑うべきものです。ろくに探しもしないで、すぐ人を疑うようなことをけっしてしてはいけません、といういましめのことわざです。
〈同じ意味〉
詮索も目の前にあり
〈反対の意味〉
人を見たら泥棒と思え |
83.七つ八つは憎まれ盛り |
七、八歳ごろの男の子はなにかにつけていたずらざかりで、近所じゅうの人たちから憎まれるほど、わんぱくぶりを発揮するというたとえです。
みなさんの教室にも元気がよすぎて、わんぱくぶりを発揮している友だちはいませんか。
〈同じ意味〉
七つ七里に憎まれる
(「七里」は多くの村里という意味) |
84.当たるも八卦当たらぬも八卦 |
「八卦」とは、占いで陰と陽とをしめす三つの算木を組み合わせてできる八つの形のことです。
乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の八つのことをいいます。
占いというものは、当たることも、はずれることもあるから、あまり占いの結果を、気にしないほうがいいというたとえです。 |
85.傍目八目 |
囲碁から生まれたことばで「傍目」とは傍観者という意味です。碁をそばで見ている人のほうが、じっさいに碁を打っている人よりも、八目先を見とおせるということから、利害関係のない第三者のほうが、物ごとのよしあしがよくわかることのたとえに使われます。
〈同じ意味〉
他人の正目 |
86.口も八丁手も八丁 |
むかし、櫓が八本ついているとても小まわりのきく「八挺小舟」という小舟がありました。
そこで、口も手も思うように動くということから、話じょうずで、することも達者なことのたとえに使われます。
〈反対の意味〉
口自慢の仕事下手 |
87.八方ふさがり |
むかしの中国から伝わった陰陽道の占いからできたことばで、どの方角も不吉で、物ごとがうまくいかないことをいいます。
また、だれからも信用を失って、身動きがとれず途方にくれることのたとえにも使われます。
〈反対の意味〉
八方美人。八方好し。 |
88.腹八分に医者いらず |
「八分」は腹いっぱい食べることを十とすると、八でやめるということです。
腹がすいたからといって、腹いっぱい食べることは、健康によくありません。「もう少し食べたいな」と思うところでやめておきなさいということわざです。そうすれば、「医者のせわにならずにすみますよ」といましめているのです。
〈反対の意味〉
大食短命 |
89.九牛の一毛 |
むかし、中国の有名な歴史家、司馬遷が武帝の怒りにふれ、獄につながれたときに書いた本の中に出てくることばです。「九牛の一毛」とは、九頭の牛の毛の中の一本という意味で、きわめて少ないことをいいます。つまり、物の数にも入らないくらいのわずかなことのたとえです。
〈同じ意味〉
ばけつの中の一滴 |
90.九死に一生を得る |
十のうち、死ぬ確率が九分で、死なずに助かることが一分という意味です。ほとんど死にそうな危険な状態から、運よく命が助かることのたとえです。
みなさんの知っている人のなかにも、自動車事故にあったが、九死に一生を得て助かったというような人がきっといるでしょう。
〈同じ意味〉
死中に活を求む |
91.九仞の功を一簀にかく |
むかし、中国の召公という人が武王に忠告したことばです。「せっかく九仞(約二十二メートル)の高さまで山を築きあげても、最後のひとかごの土を運ばなければ山ができあがったことにはなりません。国を築く仕事も同じことがいえましょう。」つまり、最後のところで気をぬくと失敗するというたとえです。 |
92.十で神童十五で才子二十過ぎればただの人 |
「神童」とは、とてもすぐれた才能をもった子どものことをいいます。
幼いうちは、とても頭のよいと思われた子どもが、成長するにしたがって、だんだんふつうの人と変わらない平凡な人間になることが多いというたとえです。
〈反対の意味〉
三つ子の魂百まで、
大器晩成 |
93.十年一昔 |
「昔」とは、今からずっと以前のことをいいます。
では、どれくらい前からのことを「昔」かというと、よく「十年立てば一昔」といいます。十年とは、みなさんが生まれてからちょうど小学校三年生くらいまでの間です。
また、世の移り変わりのようすを見るのに、だいたい十年を一区切りとして見るとよくわかるといいます。 |
94.十人十色 |
武者小路実篤という小説家が、「うぐいすはうぐいすの声を出し、からすはからすの声を出し、私は私の声を出す。」という有名なことばを残しています。
人は、一人ひとり好みや考えかたがちがうから、自分の考えがすべて正しいとか、みんなも自分と同じ意見をもっていると考えることは危険です。 |
95.鬼も十八番茶も出ばな |
「番茶」は、一番茶、二番茶をつくったあとのつみ残りのかたい葉からつくった質のおとるお茶のことです。
この番茶も入れたてのときに飲めば、香りもよくおいしいことから、どんな女の人でも十八歳くらいの年ごろになると、それなりに美しくなるというたとえです。
古くは男の人にもいいました。 |
96.三十六計逃げるにしかず |
「三十六計」とは、戦いのときに使う三十六種類のはかりごとという意味です。
むかしは、ひきょう者をあざけるのに使っていましたが、今では、身の安全を考えて「危ないな」と思ったら、もたもたしないでさっさと逃げることが、一番りこうなやりかただというたとえに使われます。
〈同じ意味〉
逃げるが勝ち |
97.五十歩百歩 |
むかしの中国で有名な孟子のことばから生まれたもので、「五十歩を以て百歩を笑う」ともいいます。
戦場で五十歩退いた者が百歩退いた者に対して「臆病者」と笑ったことから、どっちもどっちで二つともあまりちがいがないことのたとえに使われます。 |
98.六十の手習い |
「手習い」とは、もともと文字を書く練習→習字という意味ですが、学問とか修業・けいこごとをするという意味もあります。つまり、年をとってから学問やけいこごとを始めることのたとえです。
むかしは、あまりよい意味のたとえに使われていませんでしたが、最近では、老いてひまになってから勉強を始める人が多くなってきました。 |
99.人のうわさも七十五日 |
「人のうわさは倍になる」ということわざがあります。とかくうわさというものは、おおげさにして伝えられるものです。
しかし、それも一時のことで、七十五日(一、二か月)も過ぎれば、自然に立ち消えになってしまうというたとえです。
〈同じ意味〉
人の上も百日、
よきも悪しきも七十五日 |
100.明日の百より今日の五十 |
「明日になれば百万円もうかるが、今日ならば五十万円しかもうからない。」といわれた場合、たとえ明日になれば今日の倍もうかるかもしれないが、たしかな当てがない場合があります。その時は、少なくてもよいから今じっさいに受けとれるときに商売したほうがよいというたとえです。
〈同じ意味〉
大きな話より小さな現実 |
101.お前百までわしゃ九十九まで |
「お前百までわしゃ九十九まで、共にしらがのはえるまで」というむかしのはやり歌(俗謡)の一節です。
「お前」は、夫のこと、「わしゃ」は、妻のことで、夫婦が仲良く暮らし、いつまでもおたがい長生きしましょうという意味です。 |
102.彼を知り己を知れば百戦あやうからず |
『孫子』という、むかしの中国の兵法の本にでてくることばです。
敵のようすをよく知っているからといっても、それだけでは、戦いに勝てるものではありません。敵と味方の実情をよく調べ、おたがいの長所・短所を知って戦うと、なんど戦っても負けることはないというたとえです。 |
103.読書百遍意自から通ず |
江戸時代には、素読といって『論語』とか『孟子』など、中国の古い書物をくりかえし読んで暗記するという勉強法がありました。
そこには、たとえ意味がわからなくてもくりかえし読んでいくうちに、その内容が自然にわかってくるという考えかたがありました。しかし、今では、熟読のすすめのたとえに使われています。 |
104.百年河清を俟つ |
中国には、揚子江についで黄河という大きな河があります。黄河は、青海省から流れだし、黄土地帯を流れるためいつも川の水がにごっています。
そこで、黄河の水が澄むのを百年間も待ち続けるということから、いつまで待っても実現のあてのないことのたとえに使われます。 |
105.百聞は一見にしかず |
漢(中国)の宣帝のころ、異民族と戦争が起こりました。宣帝はさっそく戦いのリーダーを探したところ、趙充国という七十を越す老将軍が名のりをあげました。
そこで宣帝が、その作戦をたずねたところ、「百回聞くより一度現地をじっさいに見るほうがよくわかります。それからお答えしましょう。」といったということです。 |
106.百様を知って一様を知らず |
物ごとをじゅうぶんによく知っていることを、「百も承知」といういいかたをしますが、どのていど深く知っているかが問題です。
いろいろと広く知っている人、まるで百科事典のような人がいますが、そういう人にかぎって肝腎なところを理解していないというたとえです。 |
107.百里の道は九十里が半ば |
「百里」は、むかしの長さの単位で、約四〇〇キロメートルで、長い道のりのたとえに使われます。
百里の道のりを旅行する人にとって、九十里も歩けばほとんど目的地に到着したようなものだが、最後の十里が大切だから、九十里来てようやく半分歩いたくらいの気持ちを持ちなさい。「油断は禁物」というたとえです。 |
108.悪事千里を走る |
「千里」とは、むかしの長さの単位で、メートル法の約四〇〇〇キロメートルのことです。
しかしこの場合は、「とても遠いところ」という意味です。
悪いことをするとそのうわさは、たちまち遠くにいる人まで知れわたってしまうというたとえです。
〈同じ意味〉
かくすこと千里 |
109.親の意見となすの花は千に一つもむだはない |
なすの花は、咲いたらかならずその数だけ実をつけます。
つまり、なすにむだ花がないのと同じように、子どもの成長を願うあまりにする親の意見には、千に一つもむだがないので、子どもはよく耳をかたむけなければいけないといういましめのことばです。 |
110.千載一遇 |
「千載」は、千年で、長い年月のこと、「一遇」は、一度めぐりあうことという意味です。
千年に一度、めぐりあえるかどうかわからないほど、すばらしいチャンスに出会うことのたとえに使われます。
野球で九回裏満塁で四番打者が打席に立つと、アナウンサーは、よく「千載一遇のチャンスをむかえました。」といいます。 |
111.千里の道も一歩よりおこる |
遠い旅に出かけるのも、まず足もとの第一歩を踏み出すことが最初です。
どんな大きな仕事も、一歩一歩身近なところを踏みかためながら、仕上げていってこそ、完成させられるものです。目に見えない努力の積みかさねが大切であるというたとえです。
〈同じ意味〉
千里の行も足下に始まる |
112.鶴は千年亀は万年 |
中国の古い伝説『淮南子−説林訓』などに出てくることばで、鶴は千年、亀は万年も寿命があるといういいつたえがあることから、長命でおめでたいことのたとえに使われます。
ただし、じっさいには鶴の寿命は四十年、亀は一番長生きする亀で二百年くらい(ゾウガメ)だといわれています。 |
113.かぜは万病のもと |
「かぜ」はだれもがよくかかり、二、三日静かにしていれば薬をのまなくても、自然になおってしまうことが多いものです。
そこで人によっては、病気のうちに数えない人もいますが、ばかにしていると大病のもとになるから、こじらせないように気をつけましょうといういましめのことばです。
〈同じ意味〉
かぜは百病の長 |